人生100年時代、「食」の問題から健康を考える
毎日食べてるその食品は何が問題なのか?
ここ何年か庭でささやかながら野菜やハーブを育てています。会社は定年を過ぎ仕事も減らしてもらいましたので、時間にも余裕が出てきたからです。上手くできたものもありますし、失敗もたくさんあります。失敗したときはちょっと悲しいですが、それも趣味のレベルならではの醍醐味でしょう。本業の農家さんだったら死活問題ですからね。こうした野菜やハーブを食べながらふと感じたことがあります。なんとなくスーパーで売っている野菜とは違うような気がするのです。
市場に流通している商品と自作野菜の違い
自分で作った野菜を見ていると形や大きさ色艶などがまちまちです。キュウリなどは大きく曲がってブーメランみたいになったしまったものもありますし葉物は虫食い穴だらけです。一方スーパーの野菜は形も大きさもほぼ揃っていますしキュウリはみなまっすぐです。虫食い穴もほとんど見られません。この違いはどこから来るのでしょうか。それが素人とプロの違いだ、と言ってしまえばそれまでですが、ではプロとアマの違いとはどこにあるのでしょうか。まずは知識と技術と経験が桁外れに異なります。これはどの職業でも同じですが生活が懸かっている人と趣味の世界でやってる人の差であるといえます。そこで自分なりにネットや文献で調べたり農家(兼業農家)の方にアドバイスをもらい勉強していく中で分かったことや新たに疑問に感じたことがあります。
病害虫と雑草対策
私が失敗した主な原因は土作りの未熟さと病害虫の被害です。特に虫の被害には本当に悩みました。豆類が典型でした。枝豆やスナップエンドウはほとんど自分で食べることができずに終わってしまった年もありました。病害虫の対策は土作りからはじまり育成の仕方など多くの作業をしなければなりません(もちろん後になって知ったことですが)いくつかの対策を試みましたが最後は「薬」に頼ることになってしまいました。それともう一つ、雑草の対策です。とりわけ梅雨明け以降真夏の草の成長はすごいです。この時期になると毎週末は草むしりが必須でした。「この世に雑草などという植物はない」というようなことを昭和天皇に指導した学者がいらしたそうですが、とてもじゃありませんがそんなことは言ってられません。魚釣りに「外道」があるように野菜の栽培でも必要なもの以外は「雑草」です。そしてこの雑草への対処ですが株元はさすがに手でむしっていましたが少し離れたところでは除草剤を使っていました。我が家のたった数坪の庭ですらこれだけ大変なのですから、本業の方にとってどれだけ苦労が必要なのか身をもって知ることができました。
もうひとつ気を使ったのが肥料の与え方です。ハーブ類はあまり気にしなくてよかったのですが実がつく野菜はそうはいきません。追肥が定期的に必要になりますから雑草対策と同様に週末のルーティンになっていました。 主には化成肥料を使っていますが、それ以外にもネット情報や農家の方の話を参考に自家製肥料を作ってみたりしました。でもこれもまた手間のかかる作業であり週末を潰す要因になっていました。 本業の人すべてにこれを要求するのは酷な話だよなあ、と感じるようにもなりました
まっすぐなキュウリは不要⁈
こうして趣味の野菜作りであっても殺虫剤や殺菌剤、除草剤をそれなりに使用しています。もちろんそれらを使わない方法もありますが、それ相当の手間と時間と労力が必要です。より効率的に栽培し単位面積当たりの収量を上げようとすればこうした農薬や化学肥料の使用は不可欠です。なのですがここでまた一つの疑問がわいてきます。なぜ、効率や収量の増大が必要なのでしょうか。
- 作物の価格は決められており必要な収入を確保するには量に頼るしかない
- 流通業者の要望
- 消費者の嗜好
といった理由があるのではないでしょうか。形や大きさがそろっていないと運ぶのが大変であるとか曲がっていたり虫食いがあると消費者は手に取らないとかいった理由です。農作物の価格はその時々の天候に大きく左右されます。21世紀の今、宇宙へ人類が進出しようとしてるのに、農作物のこの問題は解決できていません。ですが見方を変えれば解決できる問題もあるのではないでしょうか。例えば物流の問題ですが形や大きさが不揃いだと非効率というのは現在の技術なら解決策は見いだせると思います。Amazon1社をみてもヒントはあると思います。また曲がっていたり虫食いが拒絶されるのは単に消費者が無知なだけですから生産者、流通業者、そしてメディアの対策で解決はできると思っています。キュウリはまっすぐでなくても良いということです。
「食」の安全とは何かについて
何かを食べてすぐにおなかを壊したり命を失うということ以外に「食の安全」とは何かについて考えなければならないと思っています。マクロの視点で見れば食料問題は外交、防衛(軍事)、エネルギーにならぶ国家の安全保障上の重要テーマであることは周知のとおりです。食料自給率の問題です。先進国のほとんどは農業大国であることを忘れてはいけません。身近な問題としてとらえるならば食料の安定供給のために「生産者・流通業者・消費者・メディア」が同じ視点からこの問題をとらえ議論していくことで「安全」を担保できるのではないかと考えています。
結論。消費者による消費者への啓蒙活動が必要
食の安全に対する課題はいくつもありますが、その根底にある基本的な問題は私たち一般消費者の意識・考え方を改めることにあると思っています。前述の曲がったキュウリや虫くいのあるものは嫌だという認識、自然に育てればキュウリは曲がるし葉っぱは虫に食べられます。それでは売れないので生産者は大量の農薬を使わざるを得ない。その一方で輸入食材は危険だから国産がいいと言っておきながら天候不順で作物の価格が少し値上がりしただけで安い中国産の購入に走るという矛盾。安全を確保したいなら一定のコスト負担は必然であるということを理解できない。しかもスマホアプリに毎月何万円も費やしていることには何も反省をしないという現状。こうした現状を生産者を始めとする関係者の方々から問題提起されてもなかなか一般消費者には理解してもらえない実態。つまり売り手に論理で話をしているのだろうから100%受けいれることはできないという心情があるのではないかとも感じています。ではどうすればよいのか。その一つは私たち一般消費者が他の消費者に対して情報提供や問題・課題の提起をしていくことが肝要ではないかということです。現代ではマスメディアに頼らずとも個人レベルでも多くの人に情報発信は可能です。私もささやかな経験と不確かな知識ではありますが、その「情報発信」をしていきたいと考えています。自分の健康のため、子や孫のために今できることを始めていきたいと思います。
[追記] もう一つのテーマを忘れていました。食品添加物と遺伝子組み換え作物についてです。極端な人は食品添加物をすべて否定するような発言をします。もし食品添加物がすべてNGならば豆腐もこんにゃくも作れなくなります。これも無知がなせる業だと思います。正しい知識を身に着ければ何が良くて何がダメなのかを知ることができます。GMOについても同様です。ただしこの問題はすぐには解決できないとも言われています。GMOが人にどのような影響を与えるのかは5年、10年では判断できない、数百年あるいはもっとかかるかもしれない。その点も踏まえたうえでGMOを活用すればよいのではないでしょうか。何をするにしてもリスクは伴います。そのリスクをどう回避していくのかを考えないことはリスクから逃れるのではなく「現実」からに逃避でしかないと思っています。その結果がどのようになったとしてもです。
昨今、SDGsが分野を問わず世界中の最重要テーマになっています。個々の施策については議論のあるところでしょうが、持続可能な社会を目指すのであれば真っ先に取り組むべきは食料、すなわち農業・漁業といった第一次産業のdevelopmentであると感じています。
蛇足。うま味調味料について
いつ頃からでしょうか化学調味料をうま味調味料と言うようなったのは。言い方はともかく中身は変わっていないのですから食べるこっちが実態を理解していればよいだけのことです。これも食べたからといって命に係わるわけでもないですし、もとはアミノ酸ですから食べすぎなければよいだけのこと。あまりとりすぎると健康被害があるかどうかはわかりませんが、味オンチになることは避けられないと思います。この件で数年前に面白いものを見ました。あるラーメン店の店先にあった張り紙が面白いものでした。そこには次のように書かれていました。
当店では科学調味料は一切使用しておりません。
「かがく」がケミカルではなくサイエンスになっています。これは単に店主さんが字を間違えただけでしょうが、見方によっては考えさせられる内容でもあります。ケミカル(化学)はだめでもサイエンス(科学)ならばもしかしてそれは良いことなのではないか。人類が獲得したすべての科学知識を総動員して安心・安全な万能調味料を作り出せれば、過剰なサトウキビ畑を作らずに済んで自然保護、環境保全にも貢献できるのではないかと思いました。
これ、誰か考えてもらえないでしょうか?
私は理数が不得手でした。(;^_^A
食の安全に対し取るべき行動
人生100年時代を生き抜こう
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